尊厳死をめぐる法と倫理
■日時: 2005年8月2日(火)午後2時〜4時
■場所: 早稲田大学研究開発センター(120号館内・1号館-301号室)
http://www.waseda.jp/jp/campus/nishiwaseda.html
■参加費: 500円
■講師: 甲斐 克則 先生(早稲田大学大学院法務研究科教授)
■演題: 尊厳死をめぐる法と倫理
■講演要旨
終末期医療をめぐっては、安楽死と尊厳死の問題がある。安楽死とは、死期が切迫した病者の激しい肉体的苦痛を病者の真摯な要求に基づいて緩和・除去し、病者に安らかな死を迎えさせる行為である。(1) 死期の切迫性、(2) 激しい肉体的苦痛の存在、(3) 病者の真摯な要求、といった3要件が揃ってはじめて「安楽死」の土俵で議論をすることができる。単なる同情で死なせる行為は「慈悲殺人」であり、安楽死ではない。また、安楽死には、肉体の苦痛を適宜取っていっても死期が早まらない「純粋な安楽死」(これは治療行為そのものであり、本人の希望があるかぎり特に問題はなく、一般に適法である)、モルヒネ等の鎮痛薬の継続的投与による苦痛緩和・除去の付随的効果として死期が早まる「間接的安楽死」(これも、法律上の正当化根拠については争いがあるものの、インフォームド・コンセントが確保されていることを前提にして、本人の真摯な要求があれば一般に適法である)、積極的延命治療を差し控えることにより死期が早まる「消極的安楽死」(本人の延命拒否の意思を尊重することにより法的に正当化可能である)、殺害により病者の苦痛を除去する「積極的安楽死」(これについては、法的・倫理的評価が分かれる)がある。
これに対して、「尊厳死」(ないし自然死)とは、新たな延命技術の開発により患者が医療の客体にされること(「死の管理化」)に抵抗すべく、人工延命治療を拒否し、医師が患者を死にゆくにまかせることを許容することである。一般的に、患者に意識・判断能力がなく(例外あり)、本人の真意や肉体的苦痛の存否の確認が困難な点、死期が切迫しているとはかぎらない点で、安楽死と異なる。しかし、いずれも、「自分の最期をどう生きるか」、ということが本質的問題である。尊厳死の対象となる患者の病状は、いわゆる植物状態のほか、白血病、癌、腎不全等、様々であり、治療拒否の対象となるべき人工延命治療の内容も、典型例としての人工呼吸器の使用から、特殊化学療法、人工透析、栄養補給チューブの使用にまで広がっている。中には、栄養分の他に水分まで中止の対象としてよいとする見解もあるが、本人がこれらすべてについて明確に拒否していない以上、最低限のケアとして、水分だけは補給し続けるべきであると思われる。
意思決定能力ある患者が人工呼吸器等の措置を最初から拒否する場合は、医師が患者の希望に即して治療を差し控えて、かりに患者が死亡しても、この行為(不作為)は適法といえる。患者の意思に基づいて死にゆくにまかせることは、消極的安楽死の場合と同様、治療拒否権=自己決定権の正当な行使といえる。同じことは、すでに開始された人工延命治療を本人の希望で中断する場合にもあてはまる。なぜなら、同じ治療内容について、最初からの治療拒否を認める以上、すでに開始された人工延命治療の拒否を認めないのは、自己決定権尊重の趣旨からして論理一貫しないからである。この場合は、生命維持利益に明確に対抗する利益が存在するので、一般的な自殺権の承認とは異なる。
本人が事前に明確な意思表示をしていなかったり、それが完全に不明確な場合は、代行判断がどこまで許されるかが問題となる。代行判断にも幅がある。この点について、最近、川崎協同病院事件第1審判決が興味深い判断を示したので、それを分析しつつ論じるが、同判決は、私見にきわめて近い立場である(甲斐・後掲論文参照)。
まず、患者が事前に明確に口頭または文書等(リビング・ウィルやアドヴァンス・ディレクティヴ)で延命拒否の意思表示をしていた場合、「明白かつ説得力ある証拠」がある以上、しかるべき代行決定者がそれを尊重して代行判断をしても、本人が直接拒否した場合と同様、正当化可能である。つぎに、患者が日常会話等で延命拒否について一般的に述べていたにすぎない場合は、ある程度それに信頼を置くことができるが、決定的ではなく、患者の生命保持の負担が生存利益よりも明らかに重いと判断される場合にのみかろうじて正当化可能である。これに対して、患者が事前に何ら意思表示をしていない場合は、近親者、医師、あるいは第三者が延命治療打切りを勝手に判断することは、正当化の枠を超える。せいぜい、個別状況により責任阻却(免責)が認められるにすぎない。しかし、将来的には、高齢者医療ないし終末期医療の充実とともに、意思決定が困難になる場合も想定して、成人にも身上監護権者(世話人)を指名できる成年後見制度の拡充が望まれる。
【参考文献】国内外の議論・裁判例・立法の検討を踏まえた安楽死・尊厳死問題の詳細については、甲斐克則『安楽死と刑法』[医事刑法研究第1巻](2003・成文堂)および同『尊厳死と刑法』[医事刑法研究第2巻](2004・成文堂)を、また川崎協同病院事件については甲斐克則「終末期医療・尊厳死と医師の刑事責任――川崎協同病院事件第1審判決に寄せて――」ジュリスト1293号(2005年7月1日号)を参照していただければ幸いである。
【甲斐克則先生のご略歴】
1977年 九州大学法学部卒業
1979年 同大学院法学研究科修士課程修了
1982年 同上博士課程単位取得退学
1982年4月 九州大学法学部助手
1984年4月 海上保安大学校法学講座講師
1987年4月 同上助教授
1991年4月 広島大学法学部助教授
1993年4月 同上教授
2004年4月 早稲田大学大学院法務研究科教授
*法学博士
【主著】1 アルトゥール・カフフマン『責任原理−−刑法的・法哲学的研究−−』
(2000年・九州大学出版会)単著
2 『海上交通犯罪の研究』(2001年・成文堂)単著
3 『安楽死と刑法〔医事刑法研究第1巻〕』(2003年・成文堂)単著
4 『尊厳死と刑法〔医事刑法研究第2巻〕』(2004年・成文堂)単著
5 『医事刑法への旅 T』(2004年・現代法律出版)単著
6 『責任原理と過失犯論』(2005年・成文堂)単著
7 『被験者保護と刑法〔医事刑法研究第3巻〕』(2005年・成文堂・近刊)単著