2009年01月11日

2005年9月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 古代人における死への眼差し ─ 臨終行儀と往生夢 ─


■日時: 2005年9月17日 (土) 午前2時〜4時

■場所: 立教大学池袋キャンパス13号館1階会議室
(※アクセス図 → I通りに面したK棟入口を抜けてJ棟に入る:http://www.rikkyo.ne.jp/~koho/campusnavi/ikebukuro/index.html)

■参加費: 500円


■講師: 河東 仁 先生(立教大学コミュニティ福祉学部)

■演題: 「古代人における死への眼差し ─ 臨終行儀 (りんじゅのぎょうぎ) と往生夢 (おうじょうむ) ─」


■報告要旨:
 如何なる形で自らの「死」を迎えるかは、人生最大の問題の一つであろう。しかしつとに指摘されているように、現在、操作主義的な延命技術の発達とともに、主体的に自らの「死」を迎えることがきわめて困難になってきている。本発表は、古代人ことに王朝期の人びとの死に対する眼差しから、死における主体性の問題を考察する視角の一つを探ろうとするものである。ただしここで言う「死」における主体性とは、いわゆる「尊厳死」の問題ではなく、文字通り如何にしたら自らの「死」と主体的に関わることができるか、という問題である。
 すなわち王朝期、少なくとも支配階層に属する人びとは、自己の死という問題と真正面から取り組んでいた。たとえば源信 (942〜1017) は、極楽へ往生するために臨終時の病床にてなすべき、さまざまな作法「臨終行儀」を定めるとともに、それを実践する同志を募って結社をつくった。また末法の世の到来(西暦1052年)を間近にしたころから、自分の往生ないし他者の往生を確証するメディアとして、往生夢というものが真剣に語られだした。そこで本発表では、こうした事例を紹介するなかで、上述の問題について考えてみたい。


【講師略歴および著作】
1985.3 東京大学 人文科学研究科 宗教学宗教史学専攻 博士課程 単位取得退学
1989.10 国立東京工業高等専門学校 専任講師
2000.4 同教授
2002.4〜 立教大学コミュニティ福祉学部 助教授


【論文等】「修行と霊夢 ─ 明恵房高弁を中心として ─」『ビイング・ネット・プレス 科学とスピリチュアリティの時代』2005.4 224-232(単著論文)湯浅泰雄他監修

【論文等】「「とはずがたり」における夢の諸相 ─ 入胎夢のインキュベーション ─」『コミュニティ福祉学部紀要』6号 2004.3 67-88

【論文等】「慈円の夢の歴史的意味」『コミュニティ福祉学部紀要』5号 2003.3 139-153

【単行本】『日本の夢信仰 ─ 宗教学から見た日本精神史 ─』東京大学大学院博士論文 玉川大学出版部 2002.2(「2002年度サントリー学芸賞」受賞)


posted by BSN事務局 at 02:00| Comment(0) | ■ 定例研究会「学校めぐり」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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