2009年01月12日

2006年11月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 医学研究における医療情報の利用


■日時: 2006年11月23日(木)午後2時〜

■場所: 早稲田大学14号館807号共同教室
         http://www.waseda.jp/jp/campus/nishi_up.html

■参加費: 500円


■講師: 横野 恵 先生(早稲田大学社会科学総合学術院)

■演題: 「医学研究における医療情報の利用」


■講演要旨:
 ヒトゲノム研究の進展に伴って,医療情報─なかでも患者の病歴や遺伝情報などの個人情報─を医学研究に利用することの重要性にあらためて注目が集まっている。他方で,個人情報保護のための法律が整備されたこなどによって,医学研究においても個人情報の適正な取扱いが強く要請されるようになった。医学研究における医療情報の利用の枠組みは,個人情報を保護しつつ,医学研究の推進や倫理性の確保に資するものである必要がある。
 わが国では,個人情報保護法の全面施行に合わせて医学研究に関する政府の諸指針が改正され,医学研究における個人情報の利用に関するルールがある程度明確化された。しかしながら,指針の適用や解釈をめぐっては混乱も生じており,結果的に研究の円滑な実施が妨げられている側面があることは否定できない。ルールの明確化とともに,研究機関・研究者によるルールの理解と遵守を促すための支援や,ルールの実効性を確保するための仕組みを含め,医療情報利用の枠組みを包括的に検討していく必要があると思われる。 今回では,そうした包括的な枠組みを指針によって実現しようとしているカナダの取り組みを紹介する。


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2006年2月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 医療における利益相反とバイオエシックス
                〜医療被害の防止・救済を中心に



■日時: 2006年2月25日(土)午後2時〜

■場所: 早稲田大学研究開発センター(120号館内・1号館-301号室)
        http://www.waseda.jp/jp/campus/nishiwaseda.html

■参加費:500円


■講師: 鈴木 利廣 先生 (弁護士、すずかけ法律事務所)

■演題: 「医療における利益相反とバイオエシックス
                〜医療被害の防止・救済を中心に」



■講演要旨
* バイオエシックスの歴史の一面は、温情的父権主義に対する患者の自律権の斗いでした。この2つの価値はいずれも、患者にとって第三者の医療者が、「患者の最善とは何か?」を思考する価値の対立にすぎなかったのかも知れません。バイオエシックス4原則のうちの公正の原則を除いた3原則(自律、恩恵、無危害)もこの患者の最善の利益をめぐる価値の対立といってもいいでしょう。
 しかし、バイオエシックスは、患者・家族と医療者の利益対立問題の解決にどのように機能し得たのでしょうか?(バイオエシックスの他面の歴史は医療における人権侵害との斗いであったハズです。)

* 例えば、次のような事案への対応です。

 1)製薬企業から資金提供をうけて研究活動を行っている医師が、当該企業から臨床試験の委託をうけた場合に、その臨床試験の結果に対して、しばしば Publication Bias(出版上の偏り。有利なことは公表するが、不利なことは公表しないこと)が指摘されています。
 臨床試験についての著名なヘルシンキ宣言(1964年)第13項、第22項は、経済的関係について研究者に倫理委員会に対する報告義務を課していますが、日本ではあまり実効的ではないようです。
 自らの利益(企業との経済的関係)と患者の利益(臨床試験における有効性、有用性の確認)が衝突する場面で、バイオエシックスはどのように機能してきたのでしょうか?

 2)医療事故が起きた場合、その原因が徹底して究明され、法的責任の有無にかかわらず、一方で被害をうけた患者・家族に正直な情報提供・説明責任が尽くされるべきであり、他方で再発防止策に反映されるべきといえます。
 正直な対応は、患者・家族の利益に資することになりますが、直ちに医療者の利益を害するおそれもあります。
 そこで、医療事故に関与した医療者のみならず施設管理者、時には事故調査委員会までもが、医療者や病院の利益に反する患者・家族への情報提供・説明責任をあいまいにしているのがこの国の現状です。
 このような問題にバイオエシックスはどのように対応してきたのでしょうか?

* 公正は個人の利害を超えた社会的価値ですが、この国では誰もが疑いを差し挟もうとしない「タテマエ」としては存在しますが、1つ1つの出来事で「公正」とは何かを考える傾向は、極めて乏しいと言わざるを得ないと思います。
 バイオエシックスは、先端医療における個々人の利害衝突(例えば、臓器移植のドナーとレシピエント、生殖補助医療における遺伝上の父母・養親・代理母の関係など)や前述の患者の最善の利益論には解決の糸口を与えてきたかも知れませんが、少なくもこの国では現実の社会や未来社会における公正・正義については、充分な示唆を与えられない状況が続いているのではないでしょうか?

* この問題には、民主主義に対する考え方や成熟度が深く関与しているのかも知れません。英国の市民運動家である Charles Medawar氏は、次のように述べています。
 「2000年も昔、医学と民主主義とが共に古代ギリシャ及びその周辺を発祥の地として生まれたことはけっして偶然の結果ではなかった。医学と民主主義は、どちらも人類の発展とその基本的要求に深くかかわっており、いずれも自己決定権、個人と社会のあり方などに密接に関係する事柄だったからである。医学と民主主義はその精神において、互いにわかちがたく絡み合っており、その両者を基本的な意味で脅かすものが秘密主義である」


【講師略歴】
 1947年東京生まれ。中央大学法学部卒業。1976年弁護士登録。専門は、医療事故、人権論、患者の権利、医事法。明治大学法科大学院教授。
 東京HIV訴訟原告弁護団事務局長、患者の権利法をつくる会常任世話人、医療問題弁護団代表、薬害肝炎全国弁護団代表、患者の権利オンブズマン全国委員会共同代表などを務める。


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2009年01月11日

2005年9月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 古代人における死への眼差し ─ 臨終行儀と往生夢 ─


■日時: 2005年9月17日 (土) 午前2時〜4時

■場所: 立教大学池袋キャンパス13号館1階会議室
(※アクセス図 → I通りに面したK棟入口を抜けてJ棟に入る:http://www.rikkyo.ne.jp/~koho/campusnavi/ikebukuro/index.html)

■参加費: 500円


■講師: 河東 仁 先生(立教大学コミュニティ福祉学部)

■演題: 「古代人における死への眼差し ─ 臨終行儀 (りんじゅのぎょうぎ) と往生夢 (おうじょうむ) ─」


■報告要旨:
 如何なる形で自らの「死」を迎えるかは、人生最大の問題の一つであろう。しかしつとに指摘されているように、現在、操作主義的な延命技術の発達とともに、主体的に自らの「死」を迎えることがきわめて困難になってきている。本発表は、古代人ことに王朝期の人びとの死に対する眼差しから、死における主体性の問題を考察する視角の一つを探ろうとするものである。ただしここで言う「死」における主体性とは、いわゆる「尊厳死」の問題ではなく、文字通り如何にしたら自らの「死」と主体的に関わることができるか、という問題である。
 すなわち王朝期、少なくとも支配階層に属する人びとは、自己の死という問題と真正面から取り組んでいた。たとえば源信 (942〜1017) は、極楽へ往生するために臨終時の病床にてなすべき、さまざまな作法「臨終行儀」を定めるとともに、それを実践する同志を募って結社をつくった。また末法の世の到来(西暦1052年)を間近にしたころから、自分の往生ないし他者の往生を確証するメディアとして、往生夢というものが真剣に語られだした。そこで本発表では、こうした事例を紹介するなかで、上述の問題について考えてみたい。


【講師略歴および著作】
1985.3 東京大学 人文科学研究科 宗教学宗教史学専攻 博士課程 単位取得退学
1989.10 国立東京工業高等専門学校 専任講師
2000.4 同教授
2002.4〜 立教大学コミュニティ福祉学部 助教授


【論文等】「修行と霊夢 ─ 明恵房高弁を中心として ─」『ビイング・ネット・プレス 科学とスピリチュアリティの時代』2005.4 224-232(単著論文)湯浅泰雄他監修

【論文等】「「とはずがたり」における夢の諸相 ─ 入胎夢のインキュベーション ─」『コミュニティ福祉学部紀要』6号 2004.3 67-88

【論文等】「慈円の夢の歴史的意味」『コミュニティ福祉学部紀要』5号 2003.3 139-153

【単行本】『日本の夢信仰 ─ 宗教学から見た日本精神史 ─』東京大学大学院博士論文 玉川大学出版部 2002.2(「2002年度サントリー学芸賞」受賞)


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2005年8月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 尊厳死をめぐる法と倫理


■日時: 2005年8月2日(火)午後2時〜4時

■場所: 早稲田大学研究開発センター(120号館内・1号館-301号室)
       http://www.waseda.jp/jp/campus/nishiwaseda.html

■参加費: 500円


■講師: 甲斐 克則 先生(早稲田大学大学院法務研究科教授)

■演題: 尊厳死をめぐる法と倫理


■講演要旨
 終末期医療をめぐっては、安楽死と尊厳死の問題がある。安楽死とは、死期が切迫した病者の激しい肉体的苦痛を病者の真摯な要求に基づいて緩和・除去し、病者に安らかな死を迎えさせる行為である。(1) 死期の切迫性、(2) 激しい肉体的苦痛の存在、(3) 病者の真摯な要求、といった3要件が揃ってはじめて「安楽死」の土俵で議論をすることができる。単なる同情で死なせる行為は「慈悲殺人」であり、安楽死ではない。また、安楽死には、肉体の苦痛を適宜取っていっても死期が早まらない「純粋な安楽死」(これは治療行為そのものであり、本人の希望があるかぎり特に問題はなく、一般に適法である)、モルヒネ等の鎮痛薬の継続的投与による苦痛緩和・除去の付随的効果として死期が早まる「間接的安楽死」(これも、法律上の正当化根拠については争いがあるものの、インフォームド・コンセントが確保されていることを前提にして、本人の真摯な要求があれば一般に適法である)、積極的延命治療を差し控えることにより死期が早まる「消極的安楽死」(本人の延命拒否の意思を尊重することにより法的に正当化可能である)、殺害により病者の苦痛を除去する「積極的安楽死」(これについては、法的・倫理的評価が分かれる)がある。
 これに対して、「尊厳死」(ないし自然死)とは、新たな延命技術の開発により患者が医療の客体にされること(「死の管理化」)に抵抗すべく、人工延命治療を拒否し、医師が患者を死にゆくにまかせることを許容することである。一般的に、患者に意識・判断能力がなく(例外あり)、本人の真意や肉体的苦痛の存否の確認が困難な点、死期が切迫しているとはかぎらない点で、安楽死と異なる。しかし、いずれも、「自分の最期をどう生きるか」、ということが本質的問題である。尊厳死の対象となる患者の病状は、いわゆる植物状態のほか、白血病、癌、腎不全等、様々であり、治療拒否の対象となるべき人工延命治療の内容も、典型例としての人工呼吸器の使用から、特殊化学療法、人工透析、栄養補給チューブの使用にまで広がっている。中には、栄養分の他に水分まで中止の対象としてよいとする見解もあるが、本人がこれらすべてについて明確に拒否していない以上、最低限のケアとして、水分だけは補給し続けるべきであると思われる。 
 意思決定能力ある患者が人工呼吸器等の措置を最初から拒否する場合は、医師が患者の希望に即して治療を差し控えて、かりに患者が死亡しても、この行為(不作為)は適法といえる。患者の意思に基づいて死にゆくにまかせることは、消極的安楽死の場合と同様、治療拒否権=自己決定権の正当な行使といえる。同じことは、すでに開始された人工延命治療を本人の希望で中断する場合にもあてはまる。なぜなら、同じ治療内容について、最初からの治療拒否を認める以上、すでに開始された人工延命治療の拒否を認めないのは、自己決定権尊重の趣旨からして論理一貫しないからである。この場合は、生命維持利益に明確に対抗する利益が存在するので、一般的な自殺権の承認とは異なる。
 本人が事前に明確な意思表示をしていなかったり、それが完全に不明確な場合は、代行判断がどこまで許されるかが問題となる。代行判断にも幅がある。この点について、最近、川崎協同病院事件第1審判決が興味深い判断を示したので、それを分析しつつ論じるが、同判決は、私見にきわめて近い立場である(甲斐・後掲論文参照)。
 まず、患者が事前に明確に口頭または文書等(リビング・ウィルやアドヴァンス・ディレクティヴ)で延命拒否の意思表示をしていた場合、「明白かつ説得力ある証拠」がある以上、しかるべき代行決定者がそれを尊重して代行判断をしても、本人が直接拒否した場合と同様、正当化可能である。つぎに、患者が日常会話等で延命拒否について一般的に述べていたにすぎない場合は、ある程度それに信頼を置くことができるが、決定的ではなく、患者の生命保持の負担が生存利益よりも明らかに重いと判断される場合にのみかろうじて正当化可能である。これに対して、患者が事前に何ら意思表示をしていない場合は、近親者、医師、あるいは第三者が延命治療打切りを勝手に判断することは、正当化の枠を超える。せいぜい、個別状況により責任阻却(免責)が認められるにすぎない。しかし、将来的には、高齢者医療ないし終末期医療の充実とともに、意思決定が困難になる場合も想定して、成人にも身上監護権者(世話人)を指名できる成年後見制度の拡充が望まれる。


【参考文献】国内外の議論・裁判例・立法の検討を踏まえた安楽死・尊厳死問題の詳細については、甲斐克則『安楽死と刑法』[医事刑法研究第1巻](2003・成文堂)および同『尊厳死と刑法』[医事刑法研究第2巻](2004・成文堂)を、また川崎協同病院事件については甲斐克則「終末期医療・尊厳死と医師の刑事責任――川崎協同病院事件第1審判決に寄せて――」ジュリスト1293号(2005年7月1日号)を参照していただければ幸いである。


【甲斐克則先生のご略歴】
1977年 九州大学法学部卒業
1979年 同大学院法学研究科修士課程修了
1982年 同上博士課程単位取得退学
1982年4月 九州大学法学部助手
1984年4月 海上保安大学校法学講座講師
1987年4月 同上助教授
1991年4月 広島大学法学部助教授
1993年4月 同上教授
2004年4月 早稲田大学大学院法務研究科教授

*法学博士


【主著】1 アルトゥール・カフフマン『責任原理−−刑法的・法哲学的研究−−』
                      (2000年・九州大学出版会)単著
     2 『海上交通犯罪の研究』(2001年・成文堂)単著
     3 『安楽死と刑法〔医事刑法研究第1巻〕』(2003年・成文堂)単著
     4 『尊厳死と刑法〔医事刑法研究第2巻〕』(2004年・成文堂)単著
     5 『医事刑法への旅 T』(2004年・現代法律出版)単著
     6 『責任原理と過失犯論』(2005年・成文堂)単著
     7 『被験者保護と刑法〔医事刑法研究第3巻〕』(2005年・成文堂・近刊)単著


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2009年01月10日

2004年10月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード ヒトクローン胚容認をめぐって 〜生命倫理行政の陥穽〜


■日時: 2004年10月9日(土) 午後3時〜

■場所: 立教大学池袋キャンパス10号館1階106号室(12号館に隣接している建物)
       (⇒アクセス図はこちらをご参照ください) 

■参加費: 500円


■講師: 粥川 準二 先生 (フリーライター・ジャーナリスト)

■演題: 「ヒトクローン胚容認をめぐって 〜生命倫理行政の陥穽〜」


■報告要旨:
 今年7月13日、政府の総合科学技術会議生命倫理専門調査会は、研究目的 に限って「ヒトクローン胚」の作成を容認する最終報告書をまとめました。「クローン人間」なら知っているけど、「ヒトクローン胚」というのはあまり聞いたことがないという人もいるかもしれません。しかし、この決定には、知らないでは済ませられないほどの重要さがあると報告者は考えています。本研究会では、決定に至るまでの
背景、経緯を紹介するとともに、その問題点を、技術と政策の両側面から洗い出します。その過程でマスメディアやアカデミズムについて報告者が感じたことを、批判的あるいは自覚的に語ってみたいと思います。もしお時間があれば、事前に、拙著『クローン人間』(光文社新書)を読んでおいていただけると幸いです。


【講師略歴】
粥川 準二 (かゆかわ じゅんじ)
 1969年生まれ、愛知県出身。編集者を経て1996年よりフリーランスのライター/ジャーナリストとして活動開始。医療、環境、食品、情報化社会など、主に科学技術と社会との関係を独自の視点で取材・執筆。著書に、『人体バイオテクノロジー』(宝島社新書)、『フォービギナーズサイエンス 資源化する人体』(現代書館)、『クローン人間』(光文社)など。訳書に、エドワード・テナー著『逆襲するテクノロジー』(早川書房、共訳)など。2004年より明治学院大学大学院社会学研究科に在籍。

 ※ 粥川 準二氏ホームページ Web KAYUKAWA:http://www.jca.apc.org/~kayukawa/



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2004年6月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 医療モデルと基礎研究:生命倫理学への示唆を


■日時: 2004年6月5日(土) 午後3時〜
 
■場所: 早稲田大学西早稲田キャンパス14号館804号室
       ※アクセス図は下記URLをご参照下さい。
         ⇒早稲田大学西早稲田キャンパス
         ⇒14号館804号室 (北門近くの四角形の建物)

■参加費: 500円


■講師: 林 真理 先生 (工学院大学)

■演題: 「医療モデルと基礎研究:生命倫理学への示唆を」


■報告要旨:
 現代の科学・技術における基礎研究と臨床応用との関係は、基礎研究がまずあって、その後それが応用(臨床)に生かされるといういわゆるリニアモデルでとらえることはできない。両者は非常に複雑な関係のもとにある。とりわけ生命科学・技術において特徴的なのは、特定の「医療モデル」が研究の推進を正当化し、その研究がさらに臨床の可能性を広げていくという関係である。このことをヒトの遺伝子研究(ガン研究、ヒトゲノム計画、SNP研究)を例にして説明する。
 こういった両者の関係を前提にしたとき、倫理的考察は2通りの役割を果たすことになることが予想される。すでに出た研究成果が臨床に応用されることの是非がまず第一に問題となるし、実際そうなってきた。こういった問題は、個々のテクノロジーのもたらす利益、安全性や問題点を踏まえた倫理的正当化の問題ということができる。
 他方で、倫理的考察は基礎研究それ自体を問題にしうる。それはその研究のもたらす様々な可能性を具体的、客観的に想定しつつ、そういった研究を社会の中で推進していく是非に関するものである。生命科学・技術がもたらす様々な問題点にあらかじめ警告を発すること、あるいはそもそもより良い研究や医療とはどのようなものか、あるいはそれをどのような形で探求・提案しうるのかを考えることもまた倫理的な課題になるのではないだろうか。


【講師略歴】
林 真理(はやし まこと)
 1992年3月 東京大学大学院理学系研究科科学史科学基礎論専攻博士課程退学
 1997年8月 東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻助手
 1999年4月 工学院大学専任講師
 2002年4月 同助教授

【参考URL】
工学院大学サイト内・林真理氏 紹介ページ
工学院大学サイト内・林真理氏・個人ページ




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2009年01月09日

2003年9月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 出生前診断をめぐる問題、ゲノム時代に先天異常をどう認識するか


■日時: 2003年9月13日(土) 午後3時〜5時
 
■場所: 早稲田大学14号館804号室
       (⇒アクセス図はこちらをご参照下さい。)

■講師: 木田 盈四郎 先生

■演題: 「出生前診断をめぐる問題、ゲノム時代に先天異常をどう認識するか」


■報告要旨:
 ヒトの先天異常を研究する仕事には多くの道筋がある。しかし、その根底には「ヒトとヒトとの繋がり」があるということを忘れてはいけない。「学者の想像力の大切さ」を常に意識しながら、「先天異常と呼ばれる状 態の患者さんたち」から私が学んだものは、「ヒトの多様な生きざま」である。
 本講演では、出生前診断をめぐる問題、特にゲノム時代に先天異常をどう認識するかについて、皆さんとともに「ヒトの生存にとって大切かどうか」という観点から考えてみたい。
 (参考URL:http://www006.upp.so-net.ne.jp/mkida/index.html


【講師略歴】
木田 盈四郎(きだ みつしろう)
昭和5年、北海道に生まれる。医師としてサリドマイド裁判の原告側証人としての経験を契機として、サリドマイド福祉財団(いしずえ)の顧問、「先天性四肢障害児父 母の会」顧問、「ダウン症のJDSN」、板橋区保育園障害児巡回指導員などを歴任。これまで同氏が取り組んできたヒトの先天異常研究は、氏自身のベトナムでの豊富な経験に基づくものである。著書・論文など多数。



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2003年7月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 遺伝子医療と社会−遺伝子情報をどのように扱うのか


■日時: 2003年7月12日(土) 午後2時〜
 
■場所: 早稲田大学西早稲田キャンパス隣・高田牧舎ビル 2F 会議室
       (人間総合研究センター分室) ⇒アクセス図はこちらをご参照ください。


■講師: 足立 智孝 先生 (モラロジー研究所 道徳科学研究センター)

■演題: 「遺伝子医療と社会−遺伝子情報をどのように扱うのか」


■報告要旨:
 この発表では、遺伝子検査における倫理問題のなかでも、家族間で生じる問題、特に家族内でのプライバシーの問題に焦点を当てて紹介する。この問題を考えるときには、遺伝子情報の性質を理解する必要があると考えるので、拙稿「遺伝子情報の性質に関する一考察」(『生命倫理』(13号、2002年))を中心に紹介する。
 また、遺伝子情報の取り扱いの問題は、医療分野だけでなく医学研究分野でも大きくクローズアップされていることも併せて報告したい。


【講師略歴】
足立 智孝(あだちとしたか)
(財)モラロジー研究所 道徳科学研究センター 生命環境研究室 研究員。
1968年生まれ。金沢大学大学院薬学研究科修了後、(財)モラロジー研究所に入り、倫理・道徳の研究を始め、バイオエシックスと出会う。1996年に、早稲田大学木村利人教授に師事し、本格的にバイオエシックスを学び始め、1997年5月から米国ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所に留学する。1998年8月からは、米国ドゥルー大学大学院メディカルヒューマニティーズプログラムに学び、2000年に修了。2001年より現職。


お問い合わせ: 早稲田大学人間総合研究センターバイオエシックス・プロジェクト助手
           河原 直人

※一般公開・申込不要・参加費無料です。



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2003年5月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 人を対象とする研究の倫理原則・規制の現況


■日時: 2003年5月11日(日) 午後2時〜
 
■場所: 早稲田大学西早稲田キャンパス14号館804号室
       (アクセス: http://www.waseda.ac.jp/koho/guide/nisiw.html


■講師: 栗原 千絵子 先生

■演題: 「人を対象とする研究の倫理原則・規制の現況」


■報告要旨:
 人を対象とする医学研究の倫理原則として最も広く知られるのは、世界医師会による「ヘルシンキ宣言」である。これは、第二次大戦中のナチスによる非人道的な人体実験に協力した医師を裁くニュルンベルク医師裁判の判決文に示された「ニュルンベルク綱領」を淵源とする。アメリカ、フランスなどでは、拘束力の弱い倫理原則だけではなく、人を対象とする研究の被験者の人権・安全を守るためのルールが法制化されてきた。他の先進諸国では、包括的規範が無くとも、職業団体の自主ルールが実効ある規制となっている国もある。
 一方日本においては、包括的な制度整備が行わないまま、先端医療研究の推進に伴い行政主導の指針が個別に告示され、相互に適用範囲が不明瞭で矛盾を含んでいる。
 医薬品承認申請のための臨床試験である「治験」に適用されるGCPのみが、申請書類の整備のための包括的規制の役割を果たしてきた。このような現状への共通認識に基づいて、人を対象とする研究の規範のあり方を議論したい。


【講師略歴】
栗原 千絵子 (本名・斉尾千絵子)
 1959年東京生れ。1982年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。その後、出版社勤務、演劇活動などを経て、1994年より臨床評価刊行会/コントローラー委員会において、臨床試験をめぐる言論・研究活動に従事。著書『15歳のこころ』(風涛社刊)、訳書『EBMの道具箱』(中山書店)。



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2003年3月度「学校めぐり」のご案内 <過去記録>


iモード 小児がんの子どもの世界 〜病棟という社会における生と死〜


■日時: 2003年3月22日(土)午後2時 〜
 
■場所: 早稲田大学西早稲田キャンパス14号館804号室
       (⇒アクセス図はこちらをご参照ください。


■講師: 田代 順 先生(臨床心理士・精神保健福祉士)

■演題: 「小児がんの子どもの世界 〜病棟という社会における生と死〜」


■報告要旨:
 小児専門の総合病院・血液腫瘍病棟における約1年半に及ぶフィールドワークの結果を考察検討した。白血病などの血液疾患児を中心とする入院患者が、自分の病気や死をどのように認知し、かつその病棟の暗黙のルールや秩序をどのように理解し、また親や医療従事者との関係をどのように形成し、そして死に至るまでも社会的関係をどうして/どのように維持しゆくということを参与観察を通してデータを収集
し、その結果をエスノグラフィ (民族誌) としてまとめて本にしたものをベースに発表を行います。


【講師略歴】(2003年1月現在)
田代 順(たしろ・じゅん)
 1956年、東京生まれ。和光大学で心理臨床のあり方や専門家支配について深く考えさせられ、国際基督教大学大学院で本格的に心理臨床研究と実践にたずさわり、成城大学大学院で「死の臨床社会心理学」研究に手を染め、短大教員の時代に小児がん病棟へのフィールドワークを終え、紆余曲折ののち、現在、看護学校や通信制の米国大学日本校などで教えながら、スクールカウンセラーや精神障害者の社会復帰グループのグループワークなどの臨床活動も行っている。臨床心理士、精神保健福祉士。
 現在の専攻は、ナラティヴ・アプローチを軸とした心理療法と臨床社会学。

 田代 順 著『小児がん病棟の子どもたち ─ 医療人類学の視点から』青弓社 2003年



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